2012年06月26日

『愛の勝利を ムッソリーニを愛した女』のこと

こんにちは。まだまだいきますよ、ShUです。

さて本日は上映作品の中から『愛の勝利を ムッソリーニを愛した女』をご紹介。



イタリアの巨匠マルコ・ベッロキオ監督の新作となりますが、原題はVINCEREで、訳すと「勝利を」というところのようです。邦題はなんともテレビのサスペンス劇場風なのですが、この映画は一大メロドラマとなっており、まんざら仰々しい邦題は的外れでもない。

一人の女がある男に惚れて、身も心も、財産までもすべて投げ出したのに男のほうは出世しだすと剣もほろろという状態。それでも女は男を追いかけ続けるのだが…。まぁ物語はこんなところです。

ところが惚れられた男が歴史に名前を残す独裁者の一人だというから、事実を元にしたというこの映画は、歴史の裏側をみるような楽しみに満ち溢れており、歴史好きには堪らない映画となっています。

またこのような「恋焦がれる物語」といえばヴィスコンティの『夏の嵐』やトリュフォーの『アデルの恋の物語』などが挙げられるでしょう。雰囲気的には『夏の嵐』に似ているかもしれない。イタリア映画ですからね。

筆者的には、主人公が扉のフレームから、他人事のように見ていた「現実」が、突如として扉の内側に入り込んでくるところに注目したいと思います。下の写真はそんな扉から飛び出した主人公の女性が、物語を紡ぎだす最初の一瞬を撮らえた素晴らしいショットのひとつです。



また、このことは劇中でいろいろな映画(記録映画や劇映画まで含む)が上映され、それを主人公たちが見ているのと無関係ではないと考えています。つまりこのベロッキオの新作は、映画と現実の境目の映画じゃないか、そんな風に筆者には見えます。



こんなシーンがあります。有名になって記録映画に写っている男を主人公は「別人のようだ」というのですうが、そこに写っているのは本物のムッソリーニです。映画の前段でムッソリーニを演じた俳優はあるシークエンス以降退場し、ムッソリーニとしては画面に登場しません。その意味では本当に別人が写っている。つまり映画と現実の境が露呈している。そのことは主人公が扉から飛び出して、現実に絡むことと相似形をしてしているといってよいでしょう。

ムッソリーニを演じた俳優は、ラスト近くある別人となって画面に再登場します。そのときの振る舞いに是非注目していただきたい。混乱し、そのことに気づいた瞬間、唖然としながらも、深い感動を覚えるのではないでしょうか。

実はこの映画、誰が誰に「勝利」したのかが全く分からない。その意味では謎に満ちた映画なのですが、とりあえず無責任にここで勝利してるのは「映画」そのものであるといってしまいたいと思います。

そのような知的企みに満ちている『愛の勝利を ムッソリーニを愛した女』を是非ご覧いただきたいと思います。お見逃しなく!






Posted by mffスタッフ at 22:01 | Comments(0)
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